仮説を持つ、ということ

英語コミュニケーションでは、基本的に長文×2題を宿題として出しています。
具体的には、
●長文をノートに書き写す⇒わからない単語を辞書で調べる⇒全文日本語訳⇒問題解答⇒音読×10回
を2セットです。
中一生にとってはちょっとハードな内容かもしれません。ただ若い時だからこそ、このような基本を徹底的に反復させることが重要だと考えます。

先日の授業でわからない単語を辞書で調べて日本語訳をしても、意味が通じない箇所がありました。結果から言うと3文字の熟語で、はっきり言って知らないとできない部分だったと思います。ここで私が伝えたことは、わからない単語や熟語があっても、話の文脈から類推してこうじゃないかな?と仮でもいいので自分なりの答え(仮説)を持つ、ということ。
間違えたって良い。多分こうだろうな、と前後のピース(情報)から推察する仮説思考を、今のうちから鍛えておくことが重要だと思っています。

極論を言えば、15年くらい前まではある一つの課題に対しての答えがある程度定まっていたため、その課題に対して如何に早く効率的にできるかが問われてきたと思っています。ただここ数年は外的変化が激しいため、定まった形式があまり通用せず、その場に適応した自分なりの答え(仮説)が『場』に当てはまるのかを、try&errorでやっていくしかないと実感しています。その仮説は質を問うものではありません。あくまで量です。いくつ自分の意見や考えを限りある情報の中からイメージできるか。これが現場で動いている私の感覚です。

こういった仮説を持つ、ということ、これからも社会に出る若人に少しずつ伝えていきたいと思っています。

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